企業の物語 · COMPANY STORY
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「携帯電話会社」という顔の裏に、孫正義が40年以上かけて積み上げた「テクノロジー投資帝国」がある。その本質は、未来への賭けを繰り返す戦略的投資会社だ。
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「コンピュータだけ勉強しなさい」——16歳の運命的な出会い
孫正義の原点は16歳のとき、日本マクドナルド創業者・藤田田の著書との出会いにある。感銘を受けた孫少年は「どうしても本人に会いたい」と毎日のように藤田氏の会社に電話をかけ続け、一週間後についに面会が実現。「これからアメリカに留学するが何を学ぶべきか」という問いに藤田氏は即答した——「コンピュータだけ勉強してらっしゃい」。この言葉が孫の人生を決定づけた。
渡米後、カリフォルニア大学バークレー校在学中に自動翻訳機を発明してシャープに約1億円で売り込み、事業家としての最初の成功体験を得る。1981年9月、24歳で帰国した孫は福岡市博多区に「日本ソフトバンク」を設立した。
「売上1兆円にする」——社員が辞めた創業スピーチ
創業当日、社員わずか2人を前に孫はミカン箱の上に立ちこう宣言した。「われわれは5年以内に売上1兆円企業になる。そして情報革命で人々を幸せにする」。あまりの荒唐無稽さに社員2人はその日のうちに退職した。資本金1,000万円、社員ゼロ——孫の「情報革命」はこんな船出だった。
最初の事業はパソコン用ソフトウェアの卸売流通。当時の日本ではソフトウェアをメーカーから消費者へ届ける流通基盤が未整備だった。孫はこの「空白」を埋めるためシャープや日本電気と独占販売契約を結び、全国の卸売ネットワークを構築。設立2年目には月商4億円に達した。
病床での決意——2年間の療養が生んだ「大きな賭け」
1983年、急成長の最中に孫は慢性肝炎を患い2年以上の療養生活を余儀なくされる。病床で読んだ約4,000冊の本が孫の思考を深めた。「もし死ぬなら後悔しない生き方をしよう。生きて帰ったら、もっと大きな賭けに出る」——この経験が、後の大胆な投資行動の原点になったと孫は語っている。
ヤフージャパン設立——「地図とコンパスを手に入れた」
1994年に東証一部上場を果たした孫は、調達した資金でシリコンバレーへの投資を本格化させる。展示会やIT専門誌の買収を通じて業界の情報が集まる「地図とコンパス」を手にした孫は、1995年にまだ無名だった米Yahoo!に出資。翌1996年、米Yahoo!との合弁でヤフージャパンを設立した。
1999〜2000年のITバブルで孫の資産は一時7兆円を超え「世界一の富豪」に躍り出る。しかしバブル崩壊で一気に1兆円以上の損失を計上した。それでも孫はヤフー株を売らなかった。この賭けは後に数兆円規模の含み益として結実する。
ボーダフォン買収——「無謀」と言われた1.75兆円の賭け
2006年、赤字続きのボーダフォン日本法人を1兆7,500億円で買収する決断をする。当時は「借金過多で無謀」という批判が相次いだ。しかし孫にはモバイルインターネット時代が来るという確信があった。2008年にAppleとの交渉に成功しiPhone日本独占販売権を獲得。iPhoneの爆発的ヒットで通信事業はグループ全体の安定キャッシュフローの「基盤」となった。「無謀な賭け」は5年以内に完全に報われた。
ビジョンファンドの栄光と挫折
2017年、孫はサウジアラビアのムハンマド皇太子との45分の会談で450億ドルの出資約束を取り付け、9,300億円規模のビジョンファンドを設立。WeWork、DiDi、Grab、DoorDashなど世界中のユニコーンへ次々と投資した。しかし2019〜2020年にはWeWorkの上場失敗、コロナショックによる投資先の業績悪化で数兆円規模の損失を計上。「孫正義の誤算」として世界中のメディアに取り上げられた。
ARM上場とAI革命——「300年王国」への再起動
2023年9月、孫が2016年に3.3兆円で買収した英ARM社がナスダックに上場し時価総額はピーク時に100兆円を超えた。ARMのチップ設計はスマートフォンの9割以上に使われており、AIブームで需要が急増している。2025年にはOpenAIへ最大300億ドル規模の出資を決定し、米国のAIインフラ投資プロジェクト「Stargate Project」にも参画を表明。「AIが向こう数十年で過去300年分を超える革新をもたらす」——孫の視線は次の300年に向いている。