企業の物語 · COMPANY STORY
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リテイリング
山口の紳士服店を引き継いだ柳井正は、なぜ世界3位のアパレル帝国を作れたのか。「高品質・低価格」を実現したSPAモデルと、一勝九敗の哲学を深掘りする。
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「山川」——人と同じことをしない少年
柳井正の高校時代のあだ名は「山川」だったという。人が「山」と言えば自分は「川」——常に逆張りする性格を表したものだ。父・柳井等が山口県宇部市の銀天街で経営する紳士服店を継ぐことは早くから決まっていたが、柳井はその「当たり前の道」すら疑い続けた。
早稲田大学政治経済学部を卒業後、父の勧めでジャスコ(現イオン)に入社するが9ヶ月で退職。帰省して家業に入るとベテラン社員がほぼ全員辞めてしまい、一人で全業務をこなす羽目になった。この苦境が、商売の本質を身体で学ぶ機会となった。
「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」——倉庫のような店のコンセプト
1984年、柳井は父から会社を引き継ぎ広島市にユニクロ1号店「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」を出店した。コンセプトは明快だった——「倉庫のような店内に、安くて良い普段着を並べる」。高い接客スキルが必要な紳士服ではなく、物が良ければ売れるカジュアルウェアを選んだのは「自分の性に合っていた」からと柳井は語っている。
「ユニクロ」という名称は香港での法人登記の際、担当者が「UniQlo」と誤記したことが定着したという逸話がある。逆張りの人物らしい、偶然からのネーミングだ。
「一勝九敗」——失敗を糧にする哲学
柳井は自著を「一勝九敗」と題した。成功より失敗の方が多く、しかしその失敗から学ぶことで次の一手が生まれるという経営哲学だ。シューズ事業への参入・野菜販売・女性向けブランド「スキップ」——いずれも期待した結果を出せず撤退している。特に大きな失敗が2001年の英国進出だった。ロンドンに大型旗艦店を出店したが現地ニーズとのミスマッチで次々と閉店。「失敗を認め、なぜ失敗したかを徹底的に分析する」という姿勢が後のグローバル展開で活かされた。
東レとの提携——「ヒートテック」誕生の舞台裏
ユニクロの競争優位を理解する上で欠かせないのが東レとの戦略的パートナーシップだ。2003年に誕生した「ヒートテック」は東レの繊維技術(吸湿発熱素材)とユニクロの商品開発・マーケティング力の掛け算から生まれた。発売から20年以上が経過した現在も毎年数億枚規模で販売される超ロングセラーだ。2009年に登場した「エアリズム」も同じ構図から生まれた。素材メーカーとの深いパートナーシップによる製品開発はユニクロのSPAモデルの核心である。
英語公用語化——「グローバル化か、死か」
2010年、柳井はファーストリテイリング社内の英語公用語化を宣言した。「グローバル企業になれなければユニクロは消えゆく存在になる」——この危機感が背景にあった。役員会議から社内メールまですべて英語で行うという大胆な決断は当初混乱も生んだが、海外人材の採用を容易にしグローバル展開のスピードを上げた。
「情報製造小売業」——次の変革
柳井正が描くユニクロの次の姿は「情報製造小売業」だ。顧客データとAIを活用して需要を予測し、無駄のない生産と最適な商品配置を実現する。「未来の小売業は情報産業、サービス産業になる」という言葉を20年前から繰り返してきた柳井の目線は今もはるか先を見ている。世界1位のZARAを運営するインディテックスと並ぶ規模を目指すファーストリテイリングは、欧米での急成長と利益率改善を背景に「世界一」という目標に着実に近づいている。